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bloody’s diary

☆血反吐を吐きつつ書くブログ☆

映画「未来を花束にして」見てきた

女性 映画
手帳見たら3月12日に見てた!
感想早く書かなきゃと思いながら書きあぐねていたのは見る前と見た後の印象が違っていたからで。

mirai-hanataba.com


私、主人公の夫はクソ男だという情報をTwitterのTLかな?で仕入れていて、割と構えた感じで見てたんだけど、実際はぜんぜんそういうことはなく。

 


というかこれは個人によって大いに感じ方が違うのでしょうが、あの時代あの階級のスタンダードから見れば、相当マシな部類、主人公が冒頭怪我をして家に帰ってきたときは心配して自ら手当までしてあげているかいがいしさ。
私の愛するベン・ウィショーが演じているのが大いに作用しているとは思うのだけど、怒鳴らない殴らない、大酒飲んで酔っ払っていない、妻子のことも当時なりに愛してはいたんだろうなというのがわかる。

妻も長年勤めている工場の工場長に性的虐待をされていたと示唆されているんですが、工場長の性的興味からはずれる年齢になって払い下げられた側面があるかもしれないけれど、それでも虐待から救い出してくれたのは夫であり、二人で当たり前の家庭を作り上げて辛くはあるけど子どもも生まれて、仕事はしんどいけれどマシな夫に恵まれ当時のあの階級の女性としてはあれが普通の生活だったのだろうなと。
(そして主人公がその虐待の連鎖を自分で終わらせようと毅然と行動したシーンに胸が熱く)

でもそのマシな夫だって、妻が女性参政権の運動に巻き込まれていくことには耐えられなくて家から追い出し、子どもの世話もしきれなくなって、裕福な家庭に養子に出してしまう場面とかああああってなり。(この辺はツイートにも書いた)
愛するわが子が養子に出されてしまうのと知って感情的になる妻を止める時さえ、夫は暴力的にはならなくて(人前、子どもの前だったというのも多分にあるだろうけど)、妻が今まで通りならば優しくて上等の夫であったろうになと。
だから妻が悪いというのでは全くなくて、女性を抑圧する社会は、男性もまた抑圧し、被害者となるというのが、わかりやすく示されていたと思う。
女性参政権獲得の運動に身を投じる女性たちとその夫たちが何通りか描かれていたけれど、親から男兄弟と同じ教育を授けられリーダー的な役割を演じる薬局の女性の夫は彼女を愛し理解し、運動を支えるけれど、過激な行動に蝕まれる病弱な妻の体の負担を思い心が張り裂けそうになっているし、主人公を運動に誘った女性の夫は妻を殴っているけれど、妻は新しい命を宿したことで運動から退く。
主人公の夫は妻子をなくし、ホモソーシャルからは馬鹿にされおとしめられる。主人公は夫と子どもをなくしたけれど、仲間と生きる意味、信念を見つけだしてる。彼女はもうこれから敗北もするだろうけれど、仲間を得て勝ち取ることだけを目指して生きていけるけど、夫はそうじゃない。

 


サフラジェットたちを執拗に追いつめ過激派に転じさせた刑事たちも(ここで本邦の公安警察が30年以上も共産党の監視に無駄な予算と人員と時間を割いていた、というのを思い出し。政府、権力側が自分達の仕事が意義あるものであると知らしめ、予算を獲得するためにマッチポンプ的なことをやるのはどこも同じ。自衛隊とか皇族とか)、活動家ではあり普通の女性たちである彼女らが監獄で虐待される様子を見て心を痛めて軽く抗議している場面がある。でもあれは彼らが荷担している権力のありようそのものなんですよね。ハンガーストライキをしている人々に無理矢理、暴力的に、非人道的に、家畜にするかのように栄養を与える。

劇中で描かれる活動は今から見てもなかなか強烈で、あの時代に英国に留学した日本の政治家たちが恐れおののいていて日本での締め付けが強くなったというのも納得できました。
男女平等は危険思想として滑稽なほど弾圧されていたのは日本も同じ。女性の我慢と忍耐の上にこそ社会は成り立っていて、それがなくなれば自分達の特権は消えるとわかっていたからこその弾圧だったのだろうと正しく把握していたからこその迫害だったのだとわかります。

 

ただ女性参政権って、第一次世界大戦で男性が徴兵され労働力が不足した時に、女性がそれを補って立派に国家に貢献したことへの報酬として与えられた面もあり、日本でも非戦主義の参政権を求めていた婦人団体が、第二次世界大戦中、戦争に加担してしまったという歴史はあり、なかなかに複雑な気持ちになりました。

イギリス女性参政権運動とプロパガンダ: エドワード朝の視覚的表象と女性像

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