bloody’s diary

☆血反吐を吐きつつ書くブログ☆

映画「アイヒマンを追え!ナチスがもっとも畏れた男」を見たよ

※文体をどうするか只今考え中※

eichmann-vs-bauer.com

 

日本と違って自国の戦争責任から目をそらさず、正義を追及してきた国ドイツ、というイメージを私は漠然ともってたけど、それは紆余曲折を経て困難を乗り越えながら決して諦めず地道に活動をし続けてきた人がいたからこそなんだなと思った。

あのドイツは努力して努力して時には血を流して獲得してきたものなんだと。

 

 映画は第二次世界大戦後10数年経った時代から1960年にアイヒマンがアルゼンチンでモサドに拘束されるまでを主に、この時代ドイツにはそこかしこに、それこを戦争犯罪人を追うはずのドイツ政府や捜査機関にもナチの残党やその協力さがいて捜査は絶え間ない妨害を受け、国民の関心も戦争責任の追及よりも経済復興や国際社会への復帰に向かっていたことが描かれてる。


悪い思い出は忘れてしまいたい、嫌な思いはしたくない。
かつてナチズムに熱狂し、戦争の快楽に耽り、ユダヤ人を含めたマイノリティーを迫害した自国、その中で辛いことはあっても楽しいことや幸せなこともあり、それでも苦労して生き延びた後、罪悪に向き合うことは一切合財を否定されてしまう気がして辛い。
これは日本と同じ。


でもそこに向き合わなければならないと奮闘していたのが映画の主人公のフリッツ・バウアーで周りを「敵」に囲まれ足を引っ張られ疑心暗鬼に孤立しながらも、それでもナチスの大物アイヒマンを捕らえようとする。

劇中印象的な言葉がいくつかあった。うろ覚えで申し訳ないけど、一番心に残ったのは
「ドイツの山や川などの美しい自然。我々はそれを誇ることはできない。なぜならそれは我々がつくり出したものではないから。ゲーテやシラー、アインシュタインも誇れない。それらは過去のことだからだ。我々が誇るべきは我々がこれから成し遂げる善行だ」というバウアーの言葉。

フリッツ・バウアー アイヒマンを追いつめた検事総長

フリッツ・バウアー アイヒマンを追いつめた検事総長

 

 


そういうことは日本にも起こっていて、でも日本は一番てっぺんに頂いていた天皇の政治責任をうやむやにしてしまったことで、根本的な悪を追求することはできなかった。
ドイツもナチの残党は公職や大企業の幹部など、いたるところにいた。
日本も大日本帝国の元軍人、幹部、戦争犯罪人のなかには同じように罪を問われず社会的地位の高い職を得て戦後を生き延びた者も多い。
だけどドイツはアウシュビッツ裁判を行い、戦争の悪を自らの手で裁くことができた。日本はいまでにできていない。
それが現在の日本とドイツの差だと思うと本当に深くて広い溝があって、頭を抱えそうになる。

デンマークが戦後、国際法の網目をかいくぐって元ドイツ軍少年兵に強制的に地雷除去をさせていた史実を元にして作られた「ヒトラーの忘れもの」を見た時、私がまず最初に思ったのは、デンマークがまさかこんなことを、というよりこんな国の暗部を国際的に知らしめてもいいの?国が禁じたりしないの?ということだった。
(この辺私は今の日本の感覚に毒されすぎてると思う)
そして国民幸福度世界第一位で福祉も充実した人道的な国家、デンマークにもこういう歴史があったのだということ。

 

hitler-wasuremono.jp

善行をなすため、理想を追うためには、まさしく「国民の不断の努力」が必要で、それがあるからこそ現在ドイツはあのドイツでいられ、デンマークもあのデンマークでいられるということ。
そしてここで描かれているバックラッシュは過去のことではなくまさに現在も起こっている。


というかバックラッシュは常にあってちょっとでも気を抜けば「((軍国主義で男が優遇されていた)昔は良かった」「(女性の発言権も選挙権もなく他国を侵略していた)昔に戻ろう」と唱える人が力をもってくるので、「昔より今のほうが絶対にいいにきまってるし、未来はもっとよくなる」って主張しなきゃいけないし、そうなるために不断の努力を続けていけばならないなって思いました。