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bloody’s diary

☆血反吐を吐きつつ書くブログ☆

HiGH&LOW 映画とドラマを見て

ハイロー映画版2回めを見て、ドラマで人間関係把握した後だったので大変に楽しく見れたのですけど、同時にやっぱりこの話は危ういなあと思ったので、それをまとめておきます。

もしかしたら的はずれなことを書いているかもしれないし、見落としているところも多々あるかとは思いますが、それでもとりあえずで。

high-low.jp

 

1まず第一に暴力肯定
それぞれの目的、街や女性を守るためには犠牲が出ても闘うしかない。
ここには話し合いや政治的駆け引きでの解決が排除されてる。
「シン・ゴジラ」ではそのまま自衛隊による武力行使として描かれたものが、こちらはより身近で想像力を働かせやすいものに置き換わっているあたり、危険度は上なのではないか。
またこの世界ではかっこいい男ほど強いという不文律があり、細やかに言葉を交わしコミュニケーションするよりことや、優しさや知性、人間味よりも喧嘩が強いことが肯定的に描かれている。むしろ言葉は少ない人間の方がかっこよく、口数が多いのは三枚目キャラ。
この価値観の提示も相当危険です。
そしてこの作品のなかで中心に描かれるグループは何かを「守る」ために闘うのですが、本当に必要なのは闘うことや守ることではなく守らなくても戦わなくても生きていける平和な世界で、そこを目指さなければならない。
闘うということは、力が争いが必要で、そこでは暴力も発生するし、守られる側は守られるためには自由や尊厳を制限される。自分には自分を守る能力はないと認識しなければならない。
ここでは主に守られる側は街であり女性ですが、これ怖いことに簡単に国や国民に置き換えられるんですよね。

 

2とんでもない貧困や格差がそのまま放置されている。
映画の中では戸籍のない人や脛に傷をもつ身の人間があつまった街があり、そこには行政の力は及んでおらず、貧困も放置され、大事故で死人が出ても政府からの支援はまったくない。
すぐ側にそれなりに穏やかな日常があるらしい商店街があるのに、人びとは爆発があったと認識しているだけで、そこに住む人びとへの被害等を特に心配している様子はない。
この映画は半分ファンタジーのようなものですが、それでも半分は現実に寄り添う形で描かれているので、子どもたちが学校にもいかずにスリや盗みで生計を立て、それをスタイリッシュに描くことでそういう街も「あってもいいのでは」と思ってしまう危険性がある。

3 2とかぶりますが、警察機構や役所などの行政機関がほぼ機能してない
普通なら乱闘や抗争などは警察が処理し、貧困や事故による困窮は役所からの福祉の支援がない。
汚職刑事が一人出てきますが、若者のグループの対立や外国マフィア、ヤクザに対して対峙する国家権力はなく、インフラである福祉があるようすもない。
ほぼ自治区のようになっており、そこの住民は自助努力で生活していくしかない。普通なら警察に行って被害届を出す、役所にいって福祉の申請をする、という概念がまったくない。生活するとは、こうやって苦しくても自分や仲間と一緒に切り開いていくものなのだ、となると非常にまずい。

 

4女性の描き方が悪い。
物語のメインは男同士の抗争であり、女性はその周辺にしか配置されていません。
喧嘩する彼らを御せない暴力男ではなく、この街を守ってくれるかっこいいヒーローだと認識し、親世代は寛容に受け入れ、彼らと同世代の女性たちは胸をときめかせながらおにぎりを握るなどしながら、彼らの帰りを待つ。
シーズン2と映画には、それでも敵ポジションのグループに一戦闘員としてかなりの強さを誇る女性が出てきますが、それも一人だけです。
また街のなかには歓楽街があり、そこでは当たり前のように女性が売り買いされています。
グループの中には「女性を守る」を信条にかかげているところもありますが、性的や労働の搾取から守るというより、ただ女性の生命と安全を、敵対勢力から守るのみです。
まず第一の悪であるはずの人身売買については否定しない。

また私が描かれ方が最悪すぎて頭を抱えたのは劇中登場人物の恋人が被害にあった性暴力とその扱いです。
女性の被害は登場人物のメンツをつぶされたこと、その人物が激高して加害者に対して度を過ぎた仕返しして逮捕され懲役を受けたことの起因として描かれておらず、劇中の人物たちは女性の受けた傷よりも、それによって暴走した仲間の辛さや苦しみにしか関心がない。被害者女性はほぼ置いてきぼりです。男性同士のトラブルのスパイスとしてしか性暴力が描かれていない。

レイプ・踏みにじられた意思

今も昔も、女をものにすることが男の成功のあかしであるのと同様、女を守ることは男の誇りのあかしでもある。

であり、自分の女を犯されることは自分の恥辱であり敗北である、というレイプイデオロギーの一種の如実に表現されています。

この辺は本当に受け入れられない。こんな描き方しかできないのならいれないで欲しいと切に思います。

 

5EXILE

他の記事でも書きましたが、忘れてはいけないのはEXILEの政治的な危うさです。

下の二つのニュースはその一端にすぎません。
天皇陛下御即位20年 EXILEが奉祝曲を奉呈

EXILEの事務所LDHのブラック企業ぶりがスゴい! 社員に丸刈り謝罪、路上土下座、ファンにもブラック商法が

国家権力に近いこと、内部もパワハラ体質であることが報道されたこと
この辺はいくら注意しても注意し過ぎることはないし、この映画で描かれている価値観も、今の政府の方針に沿っているものであることは地続きだと私は考えてます。

 

で、その上で私は反差別の立場にたってるしフェミニストでありたいと思ってます。
ハイローは上述したように政治的にはだいぶ正しくないし、ミソジニーも感じられる作品で、そういうのを自分が愛好することに葛藤がないわけではないです。
が、そういう時はいつもロクサーヌ・ゲイの「バッドフェミニスト」を思い出します。

www.ted.com

(私は洋書を読解するのに挫折したのですが、韓国ではもう出版されているらしいですが今年中の邦訳が出るらしいです楽しみですね!)
政治的に正しくないものを愛好することと、反差別・フェミニストであることは矛盾であり欺瞞だと感じる人もいるかもしれませんが、自分の中で両立してます。

「全くフェミニストでないよりも バッド・フェミニストでありたい」

sister-magazine.com

 

”まったくフェミニズムに興味を持たないよりは、たとえバッド・フェミニストでも、フェミニストでないよりは、ずっと素晴らしいことなのだから”

 

 政治的に正しくないものを愛好していても、フェミニストでないよりはずっといい。

この言葉を胸に生きていきますよ!!!!