読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

bloody’s diary

☆血反吐を吐きつつ書くブログ☆

映画『スポットライト 世紀のスクープ』見てきたよ!

映画

映画が制作されてることを知って以来みたいなと思ってて、あれよあれよとアカデミー賞をとったものの上映館が少なそうで見れるかどうか心配し、日本語公式サイトを見た時に愛媛でも上映されると知って心底ホッとしたんですよね。

spotlight-scoop.com

先日行って来ました、シネマルナティック

平日昼間でしたが年配の人を中心にけっこうな数の観客の方がいらっしゃいました

スポットライト 世紀のスクープ[Blu-ray]

スポットライト 世紀のスクープ[Blu-ray]

 

 

実話をベースにした映画で、新聞社が長年に渡るカトリック教会の児童虐待の隠蔽について丹念な取材を元にスクープした話です。

 

舞台になったボストンは、我らがベン・アフレック監督の映画を見ても分かる通り治安はあまりよくないものの保守的でカトリック人口が多く、そのためカトリック教会の影響も強い。

だからスキャンダルがあっても町の体面を気にして覆い隠そうとする雰囲気が全体にある。

加えて被害を受けるのは貧しい家庭の子どもだから、町の支配層の裕福な人々にとってはどうでもいい存在でだまらせるのも容易。

そして取るに足らない被害だと思ってるからこそ誰も気にしない。

犯罪はある、おぞましいことが起こっていることを「知ってはいる」のに、何かをする必要はないと感じている。

また購読者の半数以上がカトリック教徒であり、カトリック教会を悪しざまにかけば部数に影響し売上が減るおそれがある。

 

そんな状況の中、その町の新聞社に「よそ者」であり地元の事情など知らないのユダヤ人編集長が赴任してきて、神父による児童虐待事件の異様さを訴え、取材すべきだと記者たちに説く。

で、記者たちは虚を突かれたような顔をするんですよね。

その時にスポットライト担当の記者たちは政治的な問題を追っていて、それを捨ててまで取材しなければならないことなのか?みたいな反応をする。

単発で見れば児童虐待事件は起こっているし、聖職者の性虐待も珍しいものではない。

しかしある程度の期間統計をとって、無視できないほどの数字が出てきたら?

過去の記事を洗い出していくと、ボストンの教区だけでも十数件の事件が起こっており、一人の神父が何十人もの児童を加害している。

調べていくうちに段々と事態の深刻さを理解し始めた記者たちは自分たちがどうしてこれらの事件を見逃すことができていたんだと自問自答し始める。

 

この辺がリアルだなーと思いました。

知らずにいること、そんな現状を肯定することは加害者を覆い隠す今のシステムに加担してることとイコールなんですよね。いつの間にか自分も片棒を担がされている。

被害者の自助団体、被害者側の弁護士、と今までだって貴重な情報を提供してくれる人はいた。

だけどカトリック教会側の妨害で自助団体の代表は頭のおかしいヤツと貶められ、話を聞くだけ無駄だと新聞社の人間には思われており、弁護士が送った加害者リストは無視された。

で、その弁護士がその後事件が公にならずにもみ消されるならば、せめて示談で事件のもみ消しに協力することになっても被害者に賠償金をとってやろうという方針に転換したっぽいところは胸が締め付けられるようでした。(その彼をスポットライトのリーダーがペドフィリアを擁護するのかと罵ったことも含めて)

 

 ブリッジオブスパイのような派手で暴力的な妨害はしてこないのですが、記者たちに対する真綿で首をしめるような圧力のかかり方が不気味で不穏。

街全体、カトリック教徒全体が都合の悪いものを覆い隠そうとしている。

町の名誉に関わるから、騒ぎ立てたらみっともないから黙れと無言で押し付けてくる。

見ながら私はデジャブを感じたというか、この感じはよく知ってる、パワハラやセクハラを正当な手続きで訴えようとした時に感じたやつと同じだと思いました。

周りの人や家族が騒ぎ立てるなといい、受け付ける窓口の人が渋い顔をして無駄ですよといい、正式な相談実績も残らない。

騒ぎ立てる人の方がおかしいんじゃない?もともと変わった人だったから、等陰口をたたかれる。

大きな組織が個人の被害者から訴えられた時にはよく使う手ですよね。

証拠隠滅や被害者への中傷。従軍慰安婦問題でもよく見ます。

この事件で救いがあると思ったのは、児童虐待を事件として届け出ててきちんと受理され、データとして事実が公共の機関に残ってることで、もちろん実際の件数の何分の一かではあるんだろうけど、それでも日本に比べたらその点だけでも全然違うんだろうなと思わずにはいられませんでした。

教師や施設の職員、警察官など被害者に対して権力を持っている相手からの性的な加害や虐待事件など日本でも似たようなことは起こってるんですよ、時々ニュースになってますし。

 

個別に報道されてるから各加害者の個人的な性癖や責任に帰されているけれど、映画でも言っていた通りこれはシステムの問題で組織の体質や社会構造を変えないかぎりは起こり続けるし、加害者も被害者も際限なく生まれ続けてしまう。

さらっとではありますが作中でも加害者もかつて被害を受けた旨の描写があり、虐待は連鎖していることにも触れていました。

 

だから日本人からは縁遠い宗教団体での特殊な事件とはぜんっっっっっぜん思えなかったです。

パンフレットには日本人には想像もできないかもしれないが~とか馴染みがないかもしれないが~みたいなことが書いてありましたが、私似たような組織や属性知ってるんですよ!

日本社会そのものや男っていう集団なんですけどね!!まあカトリック教会もだいたい男集団でしょうからよく似たものになるのは当然か!!!

やることは同じですよ、権力勾配を利用した加害、隠蔽、抑圧弾圧。

なじみない??想像できない???

宗教団体が政治力を持ってるのにも我々はそこそこ身近に接していますよね!?

確かに日本ではカトリック教会は影響力を実感することはあまりないかもしれないけど、政治家や皇室関係者のけっこうな数がカトリック教徒ですよね???

そんなこと言えちゃうあなたの想像力は大丈夫??日々権力と対峙しているなら常に実感してることではないの??私みたいな底辺ド庶民でもそうなのに!!!

あなたたちは権力を持ってる方だから実感ないのかしら???私は日々感じているけども!!!!

 

閑話休題。

宗教的権威が実質的な権力を手に入れてしまっているから町の有力者も事件の隠蔽に協力する。

児童虐待が起こったことより、その事実を覆い隠してしまうほうがよっぽど恥ずべきことであるのに、町の名誉に関わる、故郷を貶めるなと有力者たちは記者に忠告する。

その恥ずべきシステムを支える中にはスポットライトのリーダーが懇意にしていた友人や同級生たちもいる。

そこで彼は自分も加担する側だったことに気づいてショックを受ける。

これは本当に重い重い指摘です。

気づいてなかったこと、知らなかったことは罪ではない悪ではないかもしれない。

だけど知らずにシステムの維持存続に加担する側に回っていることがある。

 

例えば利用している飲食店が違法な労働条件で労働者を働かせている。

食品会社が海外で違法な児童労働をさせた農園からカカオ豆を買い付けてチョコレートを作っている。

私たちは知らずにその店で食事をし、チョコレートを買うことで、そのシステムに加担している。

この愕然とした表情の意味は重かった。

指摘されればまず出てくるのは拒絶感です。自分は知らない関係ない、悪くない。自分にはどうしようもなかったじゃないかと。

確かに知らなければどうしようもない。でも知ってしまったら?

彼は記者として権力を敵に回しても正しい側に立つ方を選択する。

いざ同じ状況に立たされた時、自分も同じように正しい側を選択できるか。

できる人でありたいと思ってます。