bloody’s diary

☆血反吐を吐きつつ書くブログ☆

【映画】「ビー・デビル」と「告発の行方」

前々から気になっていた韓国映画、「ビー・デビル」をやっと見ることができました。

ビー・デビル(〇〇までにこれは観ろ! ) [DVD]

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 チェイサー」で可憐なシングルマザーのデリヘル嬢を演じていたソ・ヨンヒが、打って変わって日に焼けてたくましく素朴な島民女性を演じています。

(ネタバレあり)

 

 

 

手持ちの何冊かの韓国映画ガイドでは、この映画はエログロホラーやイロモノめいた紹介をされているので多少の警戒心を持ちながら見たし、性暴力をかなりエグく描いているのでけっこうな精神的ダメージも受けながらみたのですが、それでもこの世界に現実に存在している性暴力や女性蔑視の構造をかなりはっきりとメッセージ性強く打ち出していて途中から居住まいを正して鑑賞しました。

 

この映画では主人公のボンナムは住人がたった9人しかいない島において唯一の若い女性です。

彼女は住民の男性はもちろん、彼女の母親世代の女性たちからも辱められ、虐げられている。

この暴力的な差別や侮蔑はかなりグロテスクにデフォルメして描かれていますが、程度の差こそあれ間違いなく現実に起こっていることで、私は見ていて他人事じゃないと背筋が凍りました。

ボンナムはすべての人から馬鹿にされ、侮辱されながらも、一人娘だけと幼なじみのヘウォンへの気持ちだけを縁にして懸命に生きているのですが、ある日夫が娘を性的虐待していることに気づく。

自分はどれだけ傷つけられても耐えてきたボンナムも、娘への暴力には耐えられず島を出ようとヘウォンに助けを求めるのですが、ヘウォンは父親がまさか娘に手を出すなんてと信じてくれず逆にボンナムを傷つける。

ボンナムは危険を重々承知しながらも、娘の手を引き、島を出ようと画策するのですが、島民によって阻まれ、ひどい暴行を受け、そのさなかマンジョンのせいで娘が死んでしまう。

ここでボンナムは心の拠り所だった娘をなくし、島を出てソウルに暮らすという自分が理想とする生活をしていた親友のヘウォンが全てを見ながら何もしてくれなかったことで糸が切れた人形のようになってしまう。

 

彼女はその後、警察も何もしてくれない、島民は娘を殺した父親の罪を責めるどころか彼を擁護し、逆に全員で口裏を合わせてボンナムを非難する、全てを見ていたはずのヘウォンも何も言ってくれないことを知り、すべてを忘れるように黙々と働き始めるのですが、島民がボンナムの娘など最初からいなかったかのように振る舞うのを知り、ふと手を止めて太陽を見て決意する。

DVDに収録されていた監督のインタビューではこの場面を「太陽を見て、ボンナムは太陽のように強く生きるべきだと思う」と説明していたと思うんですが、とにかく彼女は鎌を手にし、今まで自分を侮辱し傷つけてきた人、それを見て何もしなかった人たちをひとりずつ殺していく。

(その前に島での暮らしに耐えかねたボンナムがしぶる娘の手を引きながら明るく言う「犬の糞にまみれてでも生きていたほうがいい」というセリフは印象的)

 

ここで私は、少し前に見たけどもあまりにもショッキング過ぎて感想を書けずにいた映画「告発の行方」を連想しました。

告発の行方 [DVD]

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 これは酒場で集団レイプされた女性が、周りでその様子を見て囃し立て煽り立てた人々の罪を問う過程を描いています。

レイプされたのは、麻薬と酒でハイになりセクシーな服装で挑発的な言動をしたせいだと責められ、それを目撃した男たちにも悪質な嫌がらせをされて被害者の女性は自殺未遂をする。

それは直接の犯人を強姦罪で訴えることができず司法取引に応じてしまったせいだと考えた女性検事が、被害者の名誉の回復のために奮闘する。

この道程の困難さ険しさは、見ていてお腹が痛くなったほどリアルに描かれています。

最終的には目撃者が名乗りでて法廷で証言してくれたことで有罪判決を勝ち取れるのですが、そこに至るまでは本当にしんどく。。。

事件が起こった酒場の従業員は、本来の常連たちである男たちの間で悪い評判が立つのを恐れ、見て見ぬふりをする。

被害者の女性に対して複雑な気持ちを抱いていた被害者の友人で酒場のウェイトレスは被害者に不利な証言をする。

狭い街なので事件を知っている傍観者と被害者は街で出くわして気軽に侮辱してくる。

証言者も司法取引で有罪になった友人に「証言するな。お前が証言すれば俺の罪はもっと重くなる。お前は友人を売るのか」と頼まれ、半ば脅迫されて苦悩する。

被害者は周りからも傷つけられ自分をせめて心身のバランスを崩す。

 

「ビー・デビル」と「告発の行方」は味わいを異にする映画ではありますが、加害者を止めることがないどころか、加害者の加害を肯定し、被害者を責めて加害については見てみぬふりをする傍観者は直接手を下していなくとも罪がある、と両者とも共通して描いています。

直接加害されるのも辛いですが、セカンドレイプといわれる周りの人々からの二次的な加害は範囲が広いだけに甚大で、何より個人じゃなく環境や社会を信用できなくなってしまう。

「ビー・デビル」ではそれが被害者による世界への復讐になり、「告発の行方」では法律に則った告発をする。

方法はかなり違うのですが、自分の尊厳を守るため、虐げられて侮辱されたことに対して異議を唱えるために立ち上がること、その困難さとそれがなされた時のカタルシス。

どちらも私にとっては興味深く鑑賞できました。