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bloody’s diary

☆血反吐を吐きつつ書くブログ☆

死にたいという気持ち

健康・ASD

死にたいと思ったことありますか?

一番最初に思ったのはいつですか?
 
私は小学生の時です。
何年生から覚えてませんが、割と早い段階でした。
何故かと言うと学校が本当に嫌いだったから。
勉強なんて教科書見てれば分かるのに、ただ教師が教科書を音読するだけの授業が退屈でつまらなかった。
障害特性のせいで体の使い方や運動のイメージができない私にとって、体育教師の教え方はあまりに雑で分かりにくく体育では散々な成績だった上、教師からも憎まれた。
当時私が一番好きなのは本を読むこと、ひとりでいることで、自分以外のクラスメートに興味がもてず、コミュニケーションをとることもできなかった。
長時間学校にいてじっと椅子に座っているのが耐え難かった。
教師の命令は威圧的で理不尽で非論理的、どうしてあれに従わなければならないのか理解できなかった。
等々、理由は様々ですが、もう本当に学校が嫌だった。
学校には行きたくない、でも登校拒否は親の手前できないから、いっそのこと死んでまいたかった。
 
で、何故死ななかったかと言うとまず私が痛いの苦しいのが嫌いだから。
どうやれば確実に死ねるかという知識もなかった。
(これは中学生時代に「完全自殺マニュアル」を読んでだいたいわかったのですが、自殺を失敗した時のリスクの高さのほうが負担が大きかった)
そして何より私が死んだら、家族はこの地域で生きていくのが難しくなることが分かっていたからです。
私の勝手で死ぬんだから、なるべく家族に迷惑はかけたくなかった。
死にたいんだけど、私が死ぬことによって波紋を起こしたくない。
自分の死を持って誰かを傷つけたい、復讐したいわけじゃない。
ただ生きているのに向いてない、この社会で”ちゃんと”生きていく能力が圧倒的にたりない、だから生きるのをやめたい。
そういう消極的な理由だったのでなかなか死ねず、自殺のニュースを見ては「あの人はやり遂げたんだすごいなー」という羨ましい気持ちを抱いてきました。
 
で、年を取ってきて段々と変わったのは精神的なあり方で、図々しくなったのか「生きなきゃいけない」「もう自分以外の全てが死ぬまで生き抜いてやる」と思うようになったこと。
嫌なことがあったらすぐカジュアルに死にたいと思うのは変わらないんだけど、私が死ぬことで他の人を傷つけたくない気持ちのほうが大きくて、それは私の名前だけ知っているような薄いつながりの人に対してもそうで、そういう人たちはきっと優しいからちょっとは悲しんでくれるはずで、でも私はそんな優しい人たちの胸に自分の死をもってたとえそれが針でつついたようなかすかな痛みでさえ与えてしまうことに耐えられない。
だからそういう人たちが死に絶えるまで死にたくはないなと思うようになったこと。
あと私が到底受け入れられないこの世の理不尽や不道徳について、怒りを持ってNOを言い続けるためには何より生きているしかしょうがない、それが復讐であると開き直れたこと。
 
とはいえ早く安楽死が合法にならないかなーという気持ちは変わらないんですけどね。
猫キャンパス荒神

猫キャンパス荒神

 

 追記

そんなことはないように頑張ろうとは思ってますが、もし万が一私が死んでしまっても悲しまないでくださいね♥

いろんな制約から解き放たれて好きなところに行って見たいものを見れてるはずなんで、悲しみよりもむしろ祝福をお願いします✨