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bloody’s diary

☆血反吐を吐きつつ書くブログ☆

映画「マッドマックス 怒りのデスロード」見てきたよーーーー!!!!! 5

長い割に、何が言いたいのかもはや分からなくなっている連日のマッドマックス感想ですが、いかがお過ごしでしょう!!!!

7月にもなり梅雨中ということもあり、気温の乱高下などで体調や精神状態が悪い方も多いのではないでしょうか。

私もです!!!でもマッドマックス見るために生きてる!!!!頑張る!!!!!

The Art of Mad Max: Fury Road

The Art of Mad Max: Fury Road

 

 なんでだろう、なんでこんなに情熱を傾けられるんだろう?(自問自答)

映画としてのクオリティが高い上に、様々な視点から色んな物を読み取ることが可能な構成になってるからだと思うんですよね!!!

火を噴くギターやイモータン・ジョーのビジュアルに酔い、ド迫力のアクションに溺れ、神話的なストーリーを見出し、もしくはフェミニズム的な読み方をする。

荒廃した広原を駆ける正気の沙汰じゃないほどの改造が施された車や銃器に興奮するもよし。

何にも考えずに楽しむことも可能だし、この映画を起点に様々なことについて考えることもできる。

もちろん萌えも満載!!!!乳首男爵!!!!フゥーーーーーー!!!!

wwws.warnerbros.co.jp

(ネタバレあるよ!)

 

 

 

今まで4回感想記事を書き、長々と何を論じてきたかというと、この映画は今までにないほど女性の描き方に配慮がされていて、性的オブジェクトとしてのみ扱っていない。

女性たちも人間としてそれぞれ個性的に描かれており、女性同士の連帯も示されている。

また単純な男女の対立や、女性が男性を打ち負かすストーリーでもない。

 

これだけでまとめられますね!!長々と何を書いてきたんでしょうね!!

千鳥足で行ったり来たりですね!!!

 

女性(フュリオサ)が女性(妻たち)を救出する物語ではあるのですが、砦にはミス・ギディや母乳係である多くの女達が残っています。

彼女がどうして足手まといになりそうな妻たちを連れて逃げるか、なぜ他の女達は置いていくかというと、妻たちがジョーの一番大切にしてる物であり、ジョーが何よりも求めている彼の血を引く跡継ぎを宿しているから。

憎いジョーが一番大切にしているものを奪うという形でフュリオサは私的な復讐をしようとする。

 

何に対する復讐かというと、彼女は元々鉄馬の女達という荒野をバイクで駆け巡る母系集団にいたが、20年以上前に母親と共にジョー軍団に攫われ、その3日後に母親を亡くし、その後子産み女として囲われたものの、彼女は子を産めず、イモータンジョーの逆鱗に触れて片腕を失くしウォーボーイズの一人となり大隊長まで上り詰めた、というバックグラウンドありきです。

外部集団との戦いではなく、ジョーとの諍いで彼女は母親と人間としての尊厳、そして片腕を失った。

 

で、やっぱりこの映画が素晴らしいなと思うのは、女性を性的オブジェクトとして扱っていないのはもちろん、過剰な母性賛美、神聖視もしていないところです。

ダグは自分のお腹に宿ったジョーの子どもへの嫌悪感を隠さないし、フュリオサも妻たちや鉄馬の女達を正しく安全に導ける万能の女神でもない。

誤った判断もするし絶望もする。

女性は神秘でも神聖でもないし、女性だからといって何もかもが可能になるわけでもない。

 

フュリオサはかなりのマチズモでホモソーシャルであろうウォーボーイズの中で大隊長まで上り詰めた器量がありながらも、肉弾戦だとマックスに勝てない。

女たちはマックスの助言とケア、ニュークスの自己犠牲があって始めてジョーを倒し砦に戻る。

民衆は熱狂してフュリオサの名を連呼するが、イエたる砦はいまだ残り、ジョー軍団の構成員たちも存命している。

彼女らの物語の後の過酷な運命は、ゴンドラに載った女達の複雑な表情から察することができます。

家父長制から抑圧されていた女達は逃げ出していたけど、かつて記憶の中にあった理想の母系集団は弱体化し、希望の地はすでになくなっていた。

既存のシステムから逃げ出しても過去にあったシステムに回帰することはできず、どれだけ困難で辛くても新しいシステムを作り出していくしか無い。

 

本当は男女二元論で考えてはいけないのですが、私過去このブログでファッキン家父長制をテーマに感想を書いた「海にかかる霧」の中で、「娘による父殺し」がいい加減出てきてもいいのでは?と記しました。

bloody.hatenablog.com

役者さんの実年齢から考えると、フュリオサはジョーの娘世代です。

家父長制において、息子による父殺しが結局は家長の交代でしかないのに比べると、娘による父殺しはより大きな体制を壊そうとするチャレンジになります。

父そのものがいなくなる世界、打ち倒した娘が家長になるのか、それとも家長自体をなくすのか。

 

 私がマッドマックスの感想を見ていてびっくりしたのが、「ジョーが悪人に思えない」「むしろ女性を大切にしている」「あの世界も悪くない」「どうして女たちはあれだけ恵まれた環境から逃げたしたのか」というのがなかなか多く散見されたところです。

 

あのハイテンションなノリでヒャッハー!!したい!!なら分からなくもないのですが、どれも割と真剣な調子だったのでえ?と思ったんですよね。

あの世界、ジョーやジョーの息子たち、そして武器将軍や人喰い男爵くらいの地位にいれば富と権力を独占し、好き勝手できるから楽しいかもしれない。

でもそれ以外の全員が彼らのために抑圧され奉仕しなければならない世界です。

ウォーボーイズも戦いとメカニックに特化して育てられ(おそらく去勢して生殖を管理され)、あたら短いその生命をジョーに捧げて死なねばならない。

で、ウォーボーイズほどの身体能力や車を扱えるだけの知能や体力がなければ、砦のゴンドラを操作する滑車を回す人員にさせられる。

健康な女に生まれたら性奴隷か母乳係で家畜のような扱いを受け、障害があったら砦の下でひたすら水を待っていた民衆です。

女性の中でも選りすぐられ、ジョーの子産み女になり、性暴力を受け強制的に妊娠させられ彼の子どもを産んでさえも特権は与えられず母乳が出る短い期間をすぎればどうなるかさえ分からない。

自分より上位の者に命を握られ、体と心を蹂躙されて生きていかなければならない。

自由意志も人間の尊厳も顧みられることのない世界に生きていたいのか。

 最低限の衣食住を得るためには、死ぬほど憎い相手から体を陵辱され人間としての尊厳を踏みにじられ辱められても我慢しなければならないのか。

 

やはりジョーの元に戻ろうとしたのが、彼にいまだ陵辱されていないフラジールであったこと、瀕死のスプレンディドではなくお腹の子どもにしか興味を寄せなかったジョーの態度がすべてを象徴してるのではないでしょうか。

 

またあのような世界を維持するためにはジョー自身にも過度な負担はかかり、それは白塗りにしても隠し切れない皮膚のただれや出来物、ごてごてとつけている呼吸器、常に虚勢を張り他を圧倒していかねればならないプレッシャーとストレスがかかります。

この辺りは「国際市場で逢いましょう」でも描かれていた家長が抱えた過大なる犠牲と比較できる…かな。

 

その辺はまた次回!!!!