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bloody’s diary

☆血反吐を吐きつつ書くブログ☆

発達障害啓発週間に寄せて2

www.worldautismawarenessday.jp

 

引き続き自分の発達障害のことについて書きます。

 

挨拶が出来るようになったのは中学生くらいからです。

中学生になってやっと「にこやかに挨拶しておけば無難だし得する事がある」ということがわかり、挨拶とはそういうものだというのが納得できてやっと自分からできるようになりました。

 

親戚の集まりが嫌だったのは、私にとっては父と母である人達が親戚の中では息子や嫁、叔父さん、叔母さんなど家庭で私に見せる顔とは別の顔を見せるようになるからです。

親戚の集まりの中でそうやって振る舞う両親は私には別人のように思えました。

私には両親が嘘をついているように見えました。

私もその中では親戚の女の子として空気を読んでお行儀よく振る舞わなければならなかったのですが、それが馬鹿馬鹿しくて無意味に思えて本当に嫌でした。

ずっとふてくされていて、それを親に怒られてました。

それも長じるに連れて「愛想よくしておくのが無難」というのが分かってからは、浮かないくらいには無難にふるまえるようになったと思います。

 

他にも、人は当たり前にやってのけているけど私にとって意味がわからないものはたくさんあって、そういうことをするのは無駄だから私はしたくないと思ってました。

誰かが論理立てて説明してくれて、それを理解できれば納得して実行できていたのでしょうが、子どもの世界に対するたくさんの疑問にいちいち答えてくれるような大人はなかなか私の周りにはいませんでした。

だから生活していろいろ経験してやっと仕組みを理解して実行する、という回り道をしなければなりませんでした。

 

また私は感覚過敏があり、人に触ったり触られたりするのや騒がしいこと、眩しいのが苦手です。

空間認知力も低いし、身体の使い方も下手です。

ボールとの距離が測れなくて、今でも球技は怖くてできません。

サッカーを好きになるまではテレビで見るのさえ怖かったです。

だから体育の時間は本当に苦痛でした。

 跳び箱も鉄棒も球技も何もかも、教師は見たようにやれとしか言わないし、私は自分の体をどう扱えばいいのか分からなくてそうやっていわれてもできないし、それでおたおたしていると叱られるしで行き場がなかったです。

小中高と体育を担当したのは、人は違えどずっとそういう感じの教師でだから私には運動神経は全くない、運動に向かない人間だと思い込んでました。

 

ですが大人になってから、水泳教室やダンス教室に通うようになってその認識は違っていたことに気づきました。

少なくとも私は自分で思い込んでいたほど運動ができないわけでも、嫌いなわけでもなかった。

プロの講師がきちんと言葉で説明して、わかりやすく教えてくれれば私は身体をどう動かしたらいいか理解できたし、人並みくらいには動くことができました。

 

私が学校で出会った体育教師たちは「言葉できちんと説明して教える」ということをほとんどしていませんでした。

 私は分からなくて動けなかっただけなのに、授業では人より劣ったものとして馬鹿にされていたことが分かりました。

私が学校が嫌いなのは、その空間にいることそのものが苦痛だったのもありますが、その他にも教師の行動や言葉で傷ついてきたせいでもあります。

そのほとんどは私が発達障害であったからだと今なら分かりますが、当時は本当に辛かった。

どうして大学まで出て教師として学校にいる大人がこんなにも分からないんだろうと不思議でしょうがないし、物事を教える立場にいる人がどうして手間を惜しみ言葉を尽くさなかったのだろうと今でも不可解です。


もちろん教師には色んな事情があるのでしょうが、今のところ学校は子供たちが一日の大半を過ごす場所です。

そこがあんなに息苦しく生き辛い場所であるというのは、当時の私にとっては本当にしんどいことでした。