bloody’s diary

☆血反吐を吐きつつ書くブログ☆

発達障害啓発週間に寄せて

せっかくの啓発週間なので、私も自分の発達障害のことについて書いてみたいと思います。

www.worldautismawarenessday.jp

昨日も書きましたが、私は去年まで自分が発達障害であることを知りませんでした。

発達障害であると知ってから幼いころを振り返ってみると、違和感の正体が何であるかやっと理解できた気がします。

 

子ども時代はおとなしい育てやすい子だったと思います。

保育園でも幼稚園でも友達もいたし問題なく過ごしていました。

 

じっとしていろと言われるのは嫌いで、一人で川辺や森のなかに入ってぼーっと世界について考えているのが好きでした。

当時は自分以外の人間は人間じゃなくて、世界も神様が私一人のために用意してくれたジオラマのようなものだと思ってました。

だから私が眠っている時は夜の遊園地のように何も動かない状態になるし、人もRPGの村人のように決められた言葉だけを喋ってるんだと考えてました。

小学校に上がった頃だと思うのですが、ふと移動中に、世界はジオラマじゃない、私以外の人間も私と同じようにそれぞれ意志をもって色々と考えたり行動する人間なんだということに突然気づいて怖くなった記憶が強く残ってます。

 

字が読めるようになってからは、ずっと本を読んでいました。

それこそ狂ったように本を読んでいました。

私は言語優位なので、そうやってなんとか世界を把握しようとしていたのだと思います。

本に書いてあること以外はよく分かりませんでした。

家族や周りの人が、私には無意味に思えるようなことに一生懸命になっているのが不思議でした。

私は挨拶ができない子どもでした。

挨拶の意味が分からないので、そんなことに労力を割きたくないと思ってました。

親戚の集まりに行くのも嫌でした。

色んな人が入り混じると自分が何であるか把握できなくなったからです。

気むずかしい子どもではあったと思います。

でもほっておけばいつまでも本を読むか川辺でぼーっとしているので手のかからない子だったはずです。

だから母は私が診断を受けてからもしばらく私がASDであることを信じませんでした。

母にとっては私が一番最初の子どもであったので、他の子どもとの違いに気づきにくかったのだとおもいます。

母はずっと働いていたこともあり、私を主に世話してくれたのは祖母なのですが、祖母も母一人しか子育てしたことがないし、私はおとなしく本を読んでるだけだしで、発達のいびつさには気づかなかったのでしょう。

発達障害の検査で母子手帳や小中の成績表を持って行きましたが、忘れ物や友達が少ないこと以外はこれといって気になる記述もありませんでした。

また私には弟が二人いるため、長女としてしっかりして働く母を支えなければならない、という規範意識も物心ついてからは強く働いていたと思います。

 

私にとって小中高校は地獄に近い場所でした。

とにかく机と椅子に長時間座ってじっとして退屈な話を聞いているのが苦痛でした。

教師が話すのは基本教科書通りです。

そんなものは教科書を読めば分かるのに、どうしてわざわざ椅子と机に子どもを縛り付けて無理やり話を聞かせるのだろうと疑問でした。

学習する速度は人それぞれなのに、どうして同じ場所に押し込められて一律にやらなければならないのだろうと。

また教師は普通の人間に過ぎないのに、どうして根拠もなく偉そうに高圧的に接してくるのだろうと不愉快にも思ってました。

理屈の通らないことを権力をかさにして押し付けてくるのが理不尽で仕方なかったです。

授業を受けているくらいなら本を読んでいたいとずっと思ってました。

でも親を困らせるのはよくないから我慢しようとも思ってました。

 

友達と遊ぶより一人で本を読んでいることがずっと楽しかったので、友達もあまりいませんでしたがそれを苦痛にも感じませんでした。

小学生の間のごく短い時期いじめられましたが、その後は幸いいじめには遭わずに過ごせました。

おそらく「変わった子」として周りから距離をとられていたのだと思います。

一度、学校の休み時間男の子にからかわれて「殴ってみろよ」と言われたので、本気でおもいっきり殴ったことがあります。

彼は心底驚いた顔をしていたので冗談だったのでしょうが、私にはそれがわかりませんでした。

 

成績はずっとよかったので、それを免罪符に授業中に寝ていたり他の本を読んでいても教師からも構われることはなくなりました。

 思い返せば小学生の間が一番辛かったです。

ずっと学校に行きたくないと思ってましたが、不登校になれば親に迷惑かけるし、私以外のみんなもきっと同じ感じだろうと諦めて通学してました。

 

私は運が良くて、そこそこ家族にも恵まれてて、自分でできる精一杯のことをして、学校時代を生き延びることができました。

それでもいまだに学校は大嫌いです。